朽木事務所

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吉野家事件から私たちは何を学ぶか〜マネジメントの自覚とコンプライアンスの実践

2022年4月16日、牛丼チェーン大手吉野家株式会社(親会社吉野家ホールディングス)の常務取締役伊東正明氏 は早稲田大学の社会人向けマーケティング講座において極めて反社会的かつ女性蔑視発言を行い、社会問題に発展しています。同氏は親会社の執行役員及び吉野家株式会社の役職を2日後に解任されました。今後相当期間、吉野家の社会的評判と企業価値はダメージを受け続けることになるでしょう。吉野家はその問題発言と奇しくも全く同時期に10年という期間と社命をかけた新商品「親子丼」の発売会見を見送らなくてはならないはめに陥りました。最終商品完成に至る調理の試行錯誤や味の完成はもとより、全国に及ぶ鶏肉生産拠点確保と管理、流通経路、価格設定、現場店舗でオペレーション構築には多くの社内外関係者がなみなみならぬ努力を続けてきたことでしょう。彼/彼女らの悔しさは私たちの想像を超えることと思います。

たった一人のコンプライアンス違反で、企業全体の価値が下がってしまうのです。それは行為者が執行役員/常務取締役という重役だったからではありません。ひとりの社員の不祥事や企業犯罪行為によっても、全体の信用が損なわれ企業価値は大きなダメージ受けることに変わりはないのです。

コンプライアンス違反を起こした当事者だけの問題ではない

吉野家事件では不適切発言を行った常務取締役伊東氏 だけが責を追うべきなのでしょうか。違います。常務取締役伊東氏 は普段から社内外で「過激な比喩や表現を使って注目を集める」という行動傾向を重ねてきたと言われています。それが吉野家グループとして認知されていたか会社レベルの文化になっていたかといえばそれは疑問ですが、少なくとも他の取締役や幹部たちは常務取締役伊東氏 のそんな行動傾向を嗜めたり、制止することはなかったとも考えられています。本件は今後、関係者の法的責任が問われることになるでしょう。

連帯責任というより懈怠責任

これは連帯責任ではなく監督懈怠責任の問題です。他の幹部たちも、日頃から常務取締役伊東氏 をはじめだれもが、不適切な行為をしていないか、しそうにないか、相互に監視監督し、注意して、もし日頃から不適切な過激な発言をする傾向なかったか、あったとすればそれを嗜めることができていたかどうか、そこが問われるのです。「たとえ内部の話でも、そんなことを言っちゃダメですよ!」それができていたかどうか。

社外から大きな実績を鳴り物入りでひっさげて入ってきた「マーケティングの大物」という伊東氏に対して、社内の役職者はなにか躊躇するところはなかったでしょうか。「だめだよ、それは...」と言ったとしても伊東氏から論破されてしまう、そんな懸念から意見を胸に封じてしまったのではないでしょうか。

「空気は読んでも忖度しない」コンプライアンスで肝心なポイントです。

たとえば、吉野家事件では、早稲田の教授も伊東氏の講義に陪席していたとのことです。問題発言があったとき「ちょっとちょっと、それは不適切でしょういくらなんでも」とその場で柔らかく嗜めていたら、伊東氏も「てへへ、そうですね...失礼しました」と言う展開になったかもしれません。とはいえ、そんな「割り込んでの嗜め発言」にはスキルが必要で、普段から、たとえば社内外の会議会合などでも「割り込み発言」を常にし慣れていないと到底できる技ではありません。さらに、普段から割り込み発言を繰り返していると確実にウザがられるのは明白です。また、割り込み制止をすることで、不適切な発言があったとしても社会問題になるまでに発展しなかったら、それはそれで恨まれるのです。「あいつはオレの面白い話のコシを折った。マーケティングが全くわかっていない!」と。

問題行為というものは実際に深刻な事態に陥らないとその深刻さは認識されない。問題行為の芽が小さいうちにそれを摘み取って問題を未然に防いだとしても、だれも評価しないどころか、かえって敵視されてしまう。つくづく、難しいものではあります*1。しかし、やらなければならないことでしょう。

 

ここまでは吉野家事件について、取締役や会社幹部の文脈で申し述べてきましたが、一般の上司部下、同僚間でも同じことがいえるでしょう。

コンプライアンス違反や内部不正のチェックは上司や管理職の責務

社員の不正や企業犯罪行為。それをチェックするのは上司や管理職の責務です。チェックを怠ることは責務の放棄です。もし、「このチェックの仕組み、管理規程には抜けがあるな、ザルだな」と感じたらそれを改善すること、それもまた上司や管理職の責務です。チェックの仕組みを守り改善する、それがコンプライアンスです。

コンプライアンスばっかりじゃ仕事ができないよ!

とてもよく聞く言葉ですね。それでは上司や管理職の「仕事」とはなんでしょうか。マネジメントです。部下をよく観察し、会社や経営陣の意図をよく把握して、自分のチームの総力を全体最適に向けて発揮することです。「仕事ができない」と嘆くその「仕事」とは「プレーヤーとしての仕事」のだけことを言っていて、マネジメントの仕事を忘れているのではありませんか。たとえプレイングマネジャーの役割が期待されていたとしても、マネジメントが上司や管理職の仕事の本質であることに変わりはありません。

マネジメントの自覚とコンプライアンスの実践

日本の社会でコンプライアンスが注視され始めてから何年経ったでしょう。法令違反をしないという狭い意味でのコンプライアンスは、CSR、SDGs/ESGと発展的に変貌してきました。法規範のみならず、倫理規範や社会規範を尊重し、社会の要請に応え、さらに、自発的に社会に貢献することが求められるようになったのです。

とはいえ、いまだになくならない不祥事の多くは社会的に許容されない不適切行為や不法行為・犯罪行為であって、重大なコンプライアンス違反です。上司や管理職として、部下がコンプライアンス違反をしないかどうかチェック監督すること、さらに、自らが社内手順や規程、法令に違反しないこと、これがマネジメントの要素の一つであると常に意識し続ける必要があります。

朽木事務所の研修ではコンプライアンスの個別領域の理解や個別法令の個々の条文の詳細よりも、むしろ企業やそこに働く自分たちにとっての法令遵守の本質的意義の理解促進と上司管理職としてのマネジメント責務の自覚に重点を置きます。また、法令違反がその企業のほんの一部の人間によって毀損されることで、一気に企業全体の価値は下がってしまうという側面もあることも強調し、その防止と素早い事故対応や危機管理についても言及します。

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吉野家事件については、ジェンダー、マーケティング(自社主力商品をディスる)、社外異文化と企業文化の相剋、問題言動の背景にある驕りや慢心、隠された虚栄や虚偽などなど、多様な論点から考察され、それぞれ教訓を得ることができるとは思います。ここでは、一部役員や社員の重大なコンプライアンス違反とマネジメント、上司や管理職の責務に焦点をあてて考えてみました。

 

ぼく自身、牛めしは吉野家オシです。

『牛丼、なみ! ツユ抜きで! あと、ミソ汁と玉子』

これがぼくの定番の注文です。

がんばれ、吉野家!明日はホームランだ!

 

別ブログの関連コラムのリンクは次のとおりです。

吉野家事件について(2022年4月) その1

吉野家事件について(2022年4月)その2

 

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*1:曲突徙薪-きょくとつししん-漢書霍光伝