『わしの幸福は二十三年前の戦争とともに消えちまったんだが...』
あるところに善良なおじいさんがいたが 特攻隊でふたりのむすこを失い
そのうえ空襲で妻をなくして一人ぼっちになってしまった
それからというもの じいさんはすっかりいじわるになってしまった
世の中のすべてのものにねたみを感じ
人が 幸福にくらしているのがにくたらしくてならなかった
町に出ては りっぱな門柱に小便をひっかけたり
外車に くぎで傷をつけたりするのが たったひとつの楽しみだった
人が 少しでも不幸になるのが楽しいのだ
「本日の死亡事故」の掲示板に
死亡者の数が多い日には 酒盃をあげてよろこぶのだ
いじわるじいさんは きょうもいじわるの旅をつづけていた...
(水木しげる「天邪鬼」ゲゲゲの鬼太郎 1968年)
「空気を読め!」 とは何か。
「空気を読め」ということは、その場の主流の意見がどういうものであって、どの方向に流れ向かっているのかを「理解しろ」ということだ。
さらに「理解しろ」にとどまらず、「お前もそれにならえ」ということでもある。
「反対するな」「流れに逆らうな」と言っている。
自分の意見を持っていても殺せ、自分の正しいと思っていることも言うな、するな。「皆の行動に合わせろ!」そういうことなのですね。
だって、それが利口なヤツのすることだろ?
山本七平の「空気の研究」、今調べたら1977年の本だったのだな。空気に流されてしまって戦争に向かったことへの痛切な批判だった。
いつの間にか、その場の空気を読んで、それに流されることが「空気読めよ〜!」などと、堂々と肯定的に求められるようなってしまった。
多様性などと言っちゃてさ、多様性は認めるにしても、少数派に恭順や多数派への同化を求めているんだよ。
若い頃、ある社運をかけた交渉ごとの下働きをしていたことがある。先方への主張提案を取りまとめて、担当役員の了解も得るのだが、いざ交渉会議のときに何も言わないのね、その役員さん。
どうして提案しないのですか...? とわざとナイーブに聞くと;
バカ者! そんな空気じゃないんだ!
その交渉ごとは大失敗で、会社は潰れてしまった。バカ者はどっちなんだと、その役員さんの歳も超えてしまった今、そう思う。もちろんだよ。
思っていても口に出さないことがある。
このヘタクソな戦争はもうやめようよ。
今の時代に置き換えてみると、空気を読んで、なおかつ自分の思ところのことを言うのは、とっても難しいのかもしれない。
誰かが言い出すのを待つのが、頭の良いヤツのやり方なのかもしれないな。
東京のオリンピックは、1年(2年)伸ばしたほうがいいんじゃないか?
アメリカの大統領に、まず言ってもらいたいのですか?